(02/11/20 letter)

入院して1ヵ月がたちました。毎日毎日ベッドの上だけでの生活にもあきてきました。しかし、一年中肉体を酷使し紫外線を浴びつづける生活をしている私には、この様な時間があっても良いと思ってます。時には階段登りなどもしますが手術前に運動してもリハビリとしては意味がありませんが、気分はリフレッシュします。午後は多くのみまい客が来てくれるので時間はつぶせます。友人たちは私が落ち込んでいるのではと思っているようですが、今のところ気分はOKです。たしかに凍傷により今回手足あわせて10本(多分)の指を失うことはクライマーとしての生命をも失うことになるかもしれない大問題です。しかし私はギャチュンカンの中で私が持っている最大限の能力を出しきって生きて帰れたので、くいはありません。むしろ喜びを感じてます。
今はいつの日か山に戻っていけるだろうと思いながら、ゆっくり、のんびり、やっていこうと思います。
ちなみに、手術予定は12月上旬です。今回の記録が、ロックアンドスノー・山と渓谷・岳人などに出る予定です。見てみてください。
※スライドも一緒に送ります。

ギャチュンカン登攀中のは今はなく、近くの山で順化しているものなどです。
手術後などに、また書きたいと思います。
それでは…
原本(表)原本(裏)
gyachung kang 1 gyachung kang 2 gyachung kang 3
gyachung kang 4 at hospital

(02/10/29 from EVERNEW OD div.)

山野井泰史・妙子夫妻事故概要報告

既に一部新聞などでご存知の方々もおいでかと思いますが、ギャチュンカン(7985m)を目指していた山野井泰史・妙子夫妻は10月8日、泰史氏がスロベニア・ルートから登頂致しましたものの、下降中の悪天候のため、二人とも重度の凍傷を負って10月18日帰国いたしました。現在入院治療中です。
以下はご友人の方が二人から事故の顛末を聞き取りいたしました内容です。

山野井泰史・妙子夫妻ギャチュンカン事故概要
10月5日 BC出発 スロベニア・ルート取り付き付近(コックがABCと表現している)。
6日 50~60度の雪壁に時々岩壁が混じるルートで、1ピッチ以外はノーザイルで登る。7000mでビバーク。
7日 昨日同様のルートをノーザイルで登る。7500mでビバーク。
8日 雪時々晴れ 妙子不調のため、約7600m地点でこれ以上の登行を断念(この先さらに傾斜が増す)
泰史単独登頂後妙子と合流、ビバーク。
9日 雪。前向きで下降出来ない傾斜をノーザイルでクライム・ダウン。7200mでビバーク。
10日 雪。スタカットで下降を続ける。泰史が先に下降し、妙子を確保、後 5mで泰史のいる地点で妙子が雪崩に飛ばされ、頭部が下になった状態で、50mロープ一杯で止まる。左手の手袋は雪崩で失い、左手は瞬時に白色になった。この墜落で頭部右側と右肩、右ひじなどを強打、頭部は約8cm切れる。
この墜落後、左眼が見えなくなる。もがいて体制を立て直し上部を見ると、ハング気味の岩にロープがこすれて外皮がとれ、芯も幾筋か切れている。泰史が妙子を引き上げようとロープを引くが、ロープは今にも切れそうで、大声で引くな!と叫ぶが聞こえない様子。妙子はロープをはずし、少し右手の雪壁(氷壁?)にアックスとバイルを打ち込み、次の雪崩にそなえた。
ロープの加重が無くなり、妙子がロープをはずしたことを知った泰史は、妙子と合流しようとピトンを打ってシングルロープで妙子の所に下降し、無事を確認して泰史が登り返している時、二度雪崩が発生、眼を傷つけられたらしい。ロープの始点に辿り着き、そこから懸垂下降をしようとしたが目が見えず、手袋をはずして手探りでリスを探し、リスに合うピトンを打ちながら、妙子の声のする方向へ3ピッチ降り妙子と合流。その近くの腰掛けられる程度の狭いスペースでビバーク。
11日 泰史の左眼は回復したが妙子が両眼とも見えなくなり、かなりの時間をかけて取り付き付近(ABC)まで下降。
迎えに来ると言っていたガイドがいなかったが、降雪量が多くラッセルがひどいので来なかったのだろうと思った。
12日 依然泰史の右目も妙子の両目も回復せず。10時間ほど下降し、氷河上でビバーク。
13日 途中まで人が登って来た形跡があり、ひょっとして二人が遭難したと思われているのではないか、と思った。
BCに着くと案の定二人のテントはたたまれ、メステントだけがまだ建っていた。帰還した山野井たちに・コックチョモランマBC連絡官他一名が驚き、すぐテントを建て直し収容してくれた
14日 山野井たちが行方不明と判断されており、荷下ろしのためBCにポーター3人が上がって来た。
15日 彼らに交代で背負ってもらい下山する途中で、荷下げのために上がってきたヤクとすれ違う。テンディ泊
16日 カトマンズまで帰り着き、教育病院に収容される。
18日 日本に帰国。現在凍傷についての権威である金田医師の治療を受けております。
10月8日頂上直下にいる山野井たちをガイドがBCから視認したこと、その後BCでは二日間雪が降り続き、10日、コックがABCに確認に向かったものの二人が降りてきていないことから、11日、コックがチョモランマBCまで行き日本人トレッカーに伝言を依頼。13日、二人が行方不明の可能性が高いとカトマンズのエージェントに連絡が入った。
現在、二人は東京の病院に入院し経過を見ております。二人とも手足に重度の凍傷を受けており、一部の切断は避けられない状況です。多くの方にご心配をお掛けしておりますので、この場を借りてご報告したいとのことで、皆様にご連絡申し上げます。

(02/10/21 from EVERNEW OD div.)

緊急報告

この秋、ギャチュンカン(7,985m)北壁の単独での登攀を予定していた山野井氏は、予定していた壁の状態が余りにも悪く、昨年スロベニアチームが初登攀した北西壁に変え、妙子夫人と二人で取り付きました。
7,500m付近からは山野井氏が単独となり登頂いたしました。しかし、下山途中に嵐に遭遇し、雪崩でザイルが使用できなくなるなどのアクシデントが続き、下山は難渋を極めました。8日現在頂上付近にいる二人をベースから確認できて以来、数日を経ても戻ってこないため、ベースでは遭難と判断し、カトマンズに連絡を入れました。数日後ベース撤収のために再び戻ってきたポーター等がベースに着いた時に二人が生還いたしました。早速チベットからネパールに入り、応急処置の後、18日に日本に帰国しそのまま入院いたしました。
二人とも手足に重い凍傷を負っていますが、元気でおります。暫くは入院を要し、経過を見る必要があります。
ご心配をお掛けしましたが、ここにお二人が無事に帰国いたしましたことをご報告いたします。


(02/09/02 letter)

2002年ギャチュンカン(7,985m)北壁登攀計画
趣旨 ギャチュカン北壁は1999年、スロベニアのチームが初登攀に成功したが、その北壁に新ルートを開拓すべく単独で挑戦する。
メンバー 山野井泰史
山野井妙子
日程 9月1日
2日
7日
10月20日
日本出発
ネパール入国
中国入国
ベースキャンプ(5,400m)
登山開始
登山終了
gyachung kang

(02/08/20 letter)

この夏の2ヶ月間のアメリカクライミングについて報告します。今回行ったのはコロラド州とワイオミング州で前半はスポーツクライミング、後半はアルパインクライミングを楽しみました。7月3日、私と妙子そして渋谷由加の3人は高地トレーニングで有名なコロラドはボルダー市に入り友人の家に泊めさせてもらいました。最初の2日は天気が悪いのに加え時差ボケのためエルドラドキャニオンやフラッグスタッフでの易しいクライミングでお茶を濁してからシェルフロードに移動しました。大手ではないレンタカー会社で借りた車は新しい日本車で我家の車では考えられないくらい快適なドライブでした。シェルフロードは一応スポーツクライミングのエリアでしたが垂壁で指先ばかりに負担のかかるルートばかりでした。また多くの壁が南か東に向いているため暑く脱水症状になりそうでした。次に行ったのはアメリカでも有名なスポーツエリアのライフルで車道を挟むように2キロ近くオーバーハングした壁が続いています。キャンプ場が少々ほこりっぽいのが難点でしたが岩は素晴らしいものでした。2日登って1日休むサイクルを続けましたが、こんなにまじめに登り続けたのはひさしぶりのため体があちこち痛みました。また食事も日本に居るときはジャンクフードを良く食べる私ですが、ここではまじめな食生活をしたおかげで体はみるみるうちに痩せてきました。最も印象に残っているのはあまり有名ではない5.12のルートでしたがいつも同じところで落ちていたので登れたときは感激しました。やはりクライミングはグレードではないと思ってしまいました。由加さんが日本に帰国した後、私達はロングスピークのダイヤモンドウォールを目指しロッキーマウンテンに向かいました。ダイヤモンドウォールはヨセミテのエルキャピタンほど大きくありませんがアメリカのアルパインクライマーなら誰もがあこがれる壁です。私は2回妙子と1回はソロで登りましたが4,000メートルでのクライミングは、さすがに厳しく5.11dのピッチでは何度もテンションをかけましたし、毎日、夕立が来るのでスピードも要求されました。日本にもダイヤモンドウォールのような壁があったらと思いながら500マイル離れた次の目的地ティートンまで走りました。ティートンは有名な観光地であるイエローストンの近くです。私達はそこの最高峰であるグランドティートン峰を目指しましたが公園内では多くの動物に出会え特に車の周りにバッファローの群れが来たのには感激してしまいました。グランドティートン峰ではミックスルートを考えていましたが雪が少なくロックルートに変更しました。普通は1ビバークで登るそうですがパーキングから14時間で往復に成功しました。その後ウインドリバーを計画していましたが妙子が足のけがをしたためスポーツルートだけを4日ほど楽しみ日本に帰国しました。今回は多くの人に出会えまた助けてもらい順調に旅を進める事が出来ました。いつかまたこのようなクライミングツアーをしたいと考えております。


(02/07/09 postcard)

お元気ですか。私は今、コロラドの小さな町でレスト中です。
昨日はロッキーマウンテンのロングスピーク、ダイヤモンド壁を登ってきました。ここは午後になると毎日雨が降るので少々ビクビクしながらのクライミングでした。
先月はアメリカンフォークとシェルフロードでスポーツクライミングを楽しみました。これからは再度ダイヤモンド壁、そしてワイオミング州のティートン峰にも行く予定です。
明日からTVチームと合流します。
それでは


(02/06/01 e-mail)

明日(2日) アメリカに向かいます。8月1日には帰国します
コロラドのロッキーでTVチームが撮影に入るそうです
6月3日発売のロックアンドスノーと6月15日発売の岳人にでる予定です。見てみてください。それでは........


(02/04/29 facsimile)

今年の夏から秋にかけての登山計画が決まりました。
6月3日から8月1日まではアメリカへ行く予定です。前半はコロラドでのスポーツクライミングで5.13以上のルートを何本か登りたいと思ってます。後半は4,000メートル峰であるロングスピークやワイオミングのグランドティートンのアルパインルートに挑戦します。これらを秋に行くヒマラヤクライミングのトレーニングとするつもりです。
そして秋から今年の本番となるヒマラヤに再び行く予定です。目標はギャチュカン7,950メートル未踏の北東壁をアルパインスタイル、ソロで挑みます。標高差2,000メートルの壁は、いくつかの難しい岩があり、この登攀は私の集大成に近いクライミングになるに違い有りません。海外からも時々レポートを書けたらと思ってます。
話は変わりますが5月、6月ぐらいで岳人に3月に行ったイギリスのレポートが出るかもしれません。またロックアンドスノーで私の普段の生活が紹介される予定です。機会があったら見てみてください。


(02/03/18 facsimile)

昨年アルパインクラブからシンポジウムの招待状を受け取りました。私は昔からスコットランドのクライミングに興味を持ってましたし、それが実現出来そうなので大変な喜びでした(勿論タダでイギリスに行ける)。
3月1日に日本を出発し2日からはシェフィールドでシンポジウムが行われました。イギリスは勿論、アメリカ、スロベニア、ポーランドなど私を含め7人の登山家が、50分ずつスライドを見せながら自分たちが行ってきたアルパインスタイルについて話をしました。私はいつもどおり緊張はせず、ヘタな英語のわりに見に来ている人々からは楽しめた、感動したと言われ少々良い気分になってしまいました。
さてシンポジウム後、本当の楽しみスコットランドへはクライマーの車でフォートウィリアムスの町まで行きました。私はそこでの5日間で25歳のイギリス人と3本のルートに挑戦し、2本の6級のグレードがついた300メートルのルートに成功しました。とてもエキサイティングなミックスルートでしたし、有名な嵐にも遭遇しました。特にベンネビスは美しい場所でした。ここからクリスボニントン、ダグスコットが育っているのです。
さて今回の旅の感想としては、多くのフリークライマー、アルパインクライマーがイギリスにはおり、岩そして氷に貪欲に挑戦するのです。このエネルギーは今の日本には感じられないものだし、このエネルギーがあるから昔から素晴らしいクライマーが輩出され素晴らしいスタイルで登れるのだと思いました。一緒に登ったクライマーなどが将来ヒマラヤの氷壁に恐ろしいルートを開くに違いありません。

イギリス人クライマーの家で

ベンネビス北東壁
エバニュー(注)
アルパインクラブとは英国山岳会の事です。彼らはたとえば、日本山岳会(Japan Alpine Club)・米国山岳会(American Alpine Club)というように国名は付けず、世界で最初の山岳会である栄誉から、ただAlpine Clubと名乗っています。

(02/01/31 facsimile)

今回は、あまり知られていない私の仕事、富士山の強力の話を書きます。
富士山頂の気象庁の観測所への荷上げを始めて10年以上になります。最近「まだ観測しているのですか」と時々質問されますが、レーダー自体は撤去されましたが今も職員が常駐し観測しているのです。
私は、その人たちへ野菜、肉などの食料や手紙などをブルドーザーも上がれないヘリコプターもなかなか近づけない積雪期11月~5月に荷上げします。積雪期は気温マイナス30度、風速30メートルにもなり足元は、スリップしやすいアイスバーンになります。優秀な登山者ならば悪条件の中でも登れないことはないでしょう。しかし我々が担いでいるのは風圧をまともに受けるダンボールで中には30kgもの荷物が入っています。なかなか楽ではありません。登っている時間そのものは、それほど長くはなくアメリカ製の雪上車で5合目まで送ってもらった後歩き出します。7、8合目の避難小屋まで2時間、ここで少々休憩後、山頂まで2時間と合計4時間から5時間でしょう。しかしその短時間が時にはヒマラヤの高峰を登っているときよりも辛い事があります。
そもそも私がこの仕事を選んだのはヒマラヤの高峰を登るためのトレーニングとして、また薄い酸素に常に体をならしておくためです。私は、この強力のおかげで筋力も維持できますし4,000~5,000メートルの山にいきなり登っても高山病になることはありません。しかし月に3度荷上げしてプライベートでフリークライミングや冬期登攀していると休む日が無くなるぐらい登ることになりそれが少々問題です。この文書を書いているのも富士山へ向う電車の中ですが230回目?の荷上げですが明日の天候だけが今、気になってます。しかし予想では悪天候みたいです。
3月上旬はスライド会のためイギリスに行きます。クライミングも予定してます。


(01/12/01 letter)

最近、毎日のように次の山について考えています。目標が決まらず、それに向けてのトレーニングもできない日々は、なぜか無駄な時間を過ごしている様にさえ感じてしまうのです。
確かに昔から私の中での理想のクライミングはあります。7,000メートル以上の高峰に2,000メートル以上の切り立った壁があり、私の持っている能力を最大限に発揮しなければならない氷と岩があるルートを、アルパインスタイルで登ることです。しかし何千という山の中から選び出すのは易しいことではありません。今にも落ちそうなセラックが上部にあったり、掴んだだけで剥がれそうな岩質も良くありません。これらはあまりにも客観的危険性が高すぎます。
時々私は山を選ぶ能力が少ないのではないかと思ったりします。たとえばイギリスのミック・ファウラは、だれが見ても美しくそして難しいルートを選び、アルパインスタイルで登りきるのです。私は体力、テクニック、精神面などはそこそこのレベルを持ってます。しかし最も重要なのはどんな山を登るかだと思ってます。残念ながら何人かのヨーロッパのクライマーたちは私より良い目を持っていると思います。私はあと何年ハードなクライミングが出来るかは分かりませんし、一回一回のクライミングについて、じっくり考え、美しい山を選び、それに向けトレーニングをし、良いラインを私らしいスタイルで登りたい、今それだけを思っています。


(01/11/08 facsimile)

先日、K2南南東リブの単独登攀にたいして文部科学省からスポーツ功労賞をいただきました。私以外に選ばれた12名は有名なアスリートばかりでしたし、受賞式は私には場違いな雰囲気でした。他のスポーツはともかく私の登山の記録について理解していただき選ばれた賞なのかは疑問です。それでも知らない人々から良い評価を得るのは寒い気分にはなりませんでした。
受賞翌日は自宅近くの川原でボルダリング「石登り」に挑戦しましたが、その日は登れませんでした。その3メートルの石は何ヶ月もの課題であり、いつも同じ場所で落ちてしまうのです。K2 8611メートルが登れても小さな石ころが登れないところにクライミングの楽しさ、そして奥の深さを感じてしまいました。


(01/10/01 letter)

ビャヒラヒタワー登攀
今回のヒマラヤクライミングの話は、ポーランドのクルティカからの1s枚のファックスから始まりました。
「ラトック北壁はどうだ。落石の無くなる8月に登ろう」
それ以来ラトックについて考えるようになりました。1,000メートルのきり立った氷壁、600メートルの岩壁。私の求める全てがこの北壁にはあり、いつのまにか計画を進みはじめました。

7月20日、パキスタンはイスラマバードで合流した我々。一つの冒険とも言えるスカルドまでのカラコルムハイウェーは、ドライバーの努力の結果17時間という素晴らしいタイムで到着。またキャラバンも通常5日間の行程を3日間で歩き、4,500メートルの氷河だらけのBCに到着しました。
BCはラトック・バインダーブラック・オーガ2などが見えるとても良い場所でしたが、目標のラトック北壁はコンディションが悪く雪崩の危険があり、我々はむしろ近くの美しい岩塔のビャヒラヒタワーに興味を持ち、最初にこれを登ることにしました。
しかしタワーの道のりは易しいものではなく、落石やセラックの崩壊の危険に満ちたクロアールで、とても急でした。
我々が開拓した南壁は美しいクラックと脆いクロアールで構成されています。グレードで言えばフリーは5.10、エイドはA2位でしょうか。登攀は常に悪天候によりしばしば中断しましたが、6日間かけ8月14日午前11時に頂上に立つことに成功しました。私がルート名はと聞くと
「我々には易しいルートだから、ジャパニーズポーリシュピクニックだな」
とクルティカは答え写真を撮りまくり、私と妙子は無名の6,000m峰や中国の山々を眺めつづけました。
しかし今思うのは、ビャヒラタワー下山後もラトック北壁のコンディションが悪く、挑戦できなかった事がとても残念です。
来年の計画は今はありません。しばらくはフリークライミングと11月からの富士山の強力の仕事です。

(01/08/29 facsimile)

お元気ですか。
私は登山活動を終えイスラマバードのホテルに今います。目標であったラトック北壁は悪天候のためコンディションが悪く取付きませんでした。しかし私たち(私・妙子・ボイテェク)は、6000M弱の岩峰ビャヒラヒタワーを6日間かけ成功しました。なかなか良いロッククライミングになりました。
私と妙子はこれから6~7日間、K7のエリアへトレッキングの予定です。帰国は9月10日を考えてます。 それでは‥。


(01/07/24 postcard)

お元気ですか。
私たちは今、スカルドで準備中です。
今年も悪天候で多くの登山隊が敗退しているようです。今日は食料やケロシンその他多くの買い出し、ポーターの数などを考え、そしてクライミングギアのチェックと、なかなか大変な日でした。
2日後にはキャラバン開始の村、アスユーレへジープで行く予定です。キャラバンは4~5日かかるようです。今は時々、ラトック北壁の写真を見て気分を高めています。
次はいつハガキを出せるか分かりませんが、See you...


(01/07/09 facsimile)

今年の私の計画ですが、昨年に引き続きパキスタンの山に行きます。昨年は高峰のK2に登りましたが今年はそれほど高い山ではなく7000m峰です。
山名はラトック、標高7145m、標高差2000mの北壁をアルパインスタイルで挑戦する予定です。パートナーは今回で私とは3度目になるポーランドのヴィエテク・クルティカです。ラトック北壁は、ヨーロッパやアメリカのクライマーが何度か挑戦していますが登られておらず、私の登攀歴の中でもこれほど困難な山への挑戦は久しぶりです。雪、氷、岩、すべて高度なテクニックを必要とするでしょう。
予定では10日分の食料を持ち、壁の中で7泊以上ビバークすることになるでしょう。はたして成功の可能性は・・・・?
日本出発は7月20日、チョクトイ氷河BCの到着は8月1日を予定してます。今は出発で準備が忙しい日々です。


ラトック1峰北壁計画
目的 未踏の北壁をアルパインスタイルでの登攀
登山するに至った経緯
標高差2000mの北壁は多くのクライマーの憧れであり、この様な登攀もヒマラヤでも行わなければならないと思っているからである
山名 ラトック1峰
隊の構成 隊長 山野井泰史
隊員 Voytek Kurtyak
BCマネージャー 山野井妙子
リエゾンオフィサー 1名
コック 1名
日程 7月中旬 日本出発
7月下旬 アスコレートよりキャラバン開始
8月上旬 チョクトイ氷河 BC到着(4500m)
北壁の登攀~同ルート下降
9月上旬 登山活動終了
latok
今回のルート