(03/12/21 e-mail)

最近、奥多摩の我家は、むちゃくちゃ寒い。
冬になると我家は日照時間がなんと2時間しかないのだ(誰か私達に暖かい家を与えてください)家の周りは所々凍りついているが今年は干し柿だけは、うまく出来あがりそうです。先日は古典的に餅つきもしてしまったが、やはり機械とは違い、なかなか美味しかったです。この冬は特に寒さを感じます。中には我家が原始的な仙人のように暮らしていると思っている人もいますが我家はストーブが2台もあります。

しかし寒い。凍傷になった右足などは痛いぐらいに冷たく家の中で、また凍傷になりそうです。昔は家の中では靴下など、はいた事も無かったのに今は分厚い登山用の靴下を着用している。(ちなみに手も痛い)これはなかなか冬山に行くのには勇気が要るし装備についてもかなり気を配らなければ危なそうです。
これだけ寒いですが場所を選んでフリークライミングだけには行っています。最近は果敢にリードもしているが先日は5.11bを2本も登ってしまいました。(少しづつだがうまくなっている)元気な時代はウォーミングアップのグレードですが現状を考えると良しとしなければと思うようにしています。
さて前にも書きましたが来年、順調に回復したならば中国のビックウォールに挑戦と思っています。今、トレーニング計画を練っている最中です。まず一つは全身の持久力を高めることクラッククライミングをもう一度基本からやり直すことユマーリングが出来るように握力を少しでも戻すことそして寒さを我慢して雪山に行きグローブ、アイゼンで氷、岩に挑戦し少なくなった指でも登れるようにすること等やらなければならない事が多すぎるが、やりがいもあります。来年挑戦できなくてもいつかは・・・やるつもりだ。今日もそのビックウォールの写真を眺めながらニヤニヤしてしまいました。


(03/11/10 letter)

中国は四川省に10月21日から15日間のトレッキングに行ってきました。メンバーは私に妙子、フリーライターをしている女性に現地のガイド4名です。トレッキングと言っても、5日間以外は車で移動という楽な旅です。成都に着いた翌日には、ガイドが運転する4WDで稲城(ダオチェン)を目指しました。3日間は四川特有の唐辛子と山椒が効きすぎる料理を食べながらの移動になり、車は4000メートルの峠を何度も超えたのです。残念ながら天気は悪く、有名な高峰ミニヤコンガなどは確認する事は出来ませんでしたが楽しいドライブでした。

稲城についた日は最近完成したと言われる、形ばかり立派であまり機能的ではないホテルに宿泊に成りましたが、近所にある個室になっている温泉には満足でき、気分もリフレッシュしました。
26日からヤーディンと言う村からトレッキングを開始しました。馬2頭に食料や寝袋を乗せ、私達は各自10キロぐらいのザックを担ぎ沖古寺を目指します。日本で考えていたよりも開発されたこの土地は、中国各地からたくさんの人が訪れ、また道も予想に反して整備され、まるで秋の上高地を歩いている様でした。僻地での旅を予想していただけに少し拍子抜けしてしまいました。この日も天気は悪く、シャルオドジェ等の山が見えるはずでしたがそれらは雲の中でした。宿泊は4人で布団付きの大きな小屋を占領して使いましたが、他のトレッカーがいないのでのんびり食事の用意が出来ました。この日の夕食はパスタにビン詰めのトマトソースという単純ですが久しぶりに食べなれているものをいただきました。

翌日も雨の中、ベースとなる4100メートルの大地を目指しましたが、のんびり写真を撮りながら歩いたのに2時間で着いてしまいました。この日の宿は63歳のおじさんが40年前に作ったと言う、ヤクを放牧するときに使う小屋を、1日一人25元払って使わせてもらう事になりました。途中の道まで私達を泊まらせるために営業に来たので泊まるしかありません。石で囲われ焚き火の煙で充満した小屋は、思っていたよりも快適でこれから3日間滞在するのに十分の場所です。翌日も天気は悪かったのですが、4500メートルの五色沼まで散歩。小屋に戻り香辛料が効いたインスタントラーメンを食べ出血した足を治療していると、未踏峰の一つシャルオドジェ5958メートルがついに雲の間から現われ始めました。数年前に挑戦したディスカバリーチャンネルのルートはなかなか良い所を選んでいますが、頂近くはかなり難しそうです。次の日は全員で小屋近くでボルダリングをして過ごしました。中国人ガイドは、もともと十種競技の選手だけあって初めてにしては良い登りをしていましたし、何よりも楽しんでいました。夕方にはやはり未踏峰のヤンメーヨンも顔を出し、計画している訳でもないのに思わず可能性のあるラインを目で追ってしまいます。夜は残っている野菜をふんだんに使い、炒め物にスープ、友人がくれた燻製の肉にライスと言う豪華版でした。

山の中での最終日は、私が最も楽しみにしていた未踏峰のシャラリ6032メートルの周りを一周するトレッキングです。この日はなんと快晴。未踏峰3山がすべて見え4500メートル以上の峠を2度も超える歩きは12キロ近くありましたが、雪あり深い森ありと変化にとんでいて飽きる事はありませんでした。10時間近く歩いたので、最終的には足を引きずりながらでしたがメインイベントとして満足いく日になりました。
この後私達は成都に戻る事になりましたが、写真集を見たときから気になっていたビッグウォールがスークーニャン近くで見られるということで、少し遠回りをしてもらい偵察に行きました。予想していた岩質とは少し違いがありましたが、1000メートル以上ある素晴らしく魅力的なビッグウォールで、本気になって双眼鏡で可能性を探ってしまいました。ひそかにこの壁を復帰第一戦にと思ってしまいます。10日間以上の登攀と思われるこの壁は確かに難しそうですが、やりがいのあるものを見つけた気がします。

レストランにて
レストランにて
キャラバン開始
キャラバン開始
シャルオドジュをバックにボルダリング
シャルオドジュをバックにボルダリング
ヤンメーヨン
ヤンメーヨン
シャラリ一周トレッキング
シャラリ一周トレッキング

(03/10/17 letter)

思えばギャチュンカンでの過酷な登攀から生還し、そして日本に帰国してからちょうど1年になります。その間、4ヶ月の入院生活は自分の指を10本失うという厳しい現実もありましたが、けっこう毎日を楽しみました。その後の伊豆での2ヶ月は思う様にリハビリは進みませんでしたが10分ほどの散歩は欠かさず行い脚力の向上に努めました。5月に入り暖かくなるころ奥多摩の我家に戻りまSした。最初は3時間ぐらいのハイキングを何度か行い次には7月に1泊2日のテント山行に成功したのです。9月上旬には2泊3日で念願だった飯豊山脈も歩き通したのです。そして最近では富士山の5合目から頂上までを2時間30分で登りました。

クライミングのほうは8月下旬から再開し2ヶ月がたちました。今でも思う様に手には力が入りませんが足の方は少しずつですが慣れて来ました。今までに登ったのはトップロープですが5.10aを10本、5.10cを2本、そして5.11aを1本に5.11bを1本という成果を上げました。

こんな風に書くとかなり復活した様に思えるでしょうが山歩きは相変わらず下りではコースタイムよりも遅く足は痛みますしクライミングのほうも5.10aでも登れないルートがたくさんあるのです。今の目標は少しでもフリークライミングのグレードを上げる(来年には5.12を1本ぐらい登れないかなー)ことと冬になったらば易しいアイスクライミング(これはかなり辛い)に挑戦することです。とりあえず焦らずに少しずつ回復する自分を感じながら過ごそうと思っております。具体的な計画としては10月下旬から2週間で中国の四川省にトレッキングに行くつもりです。わたしと妙子そして友人の女性の3人で4000メートルぐらいの所を歩きながら6000メートルの未踏峰をたくさん見てくる予定です。多分、美しい景色が私達を待っている事でしょう。その報告は次の機会に…。
猿、イヌイット、犬
玉虫、おたまじゃくし、ジョーズ

(03/09/16 letter)

ついにクライミングを再開しました。退院してからすでに半年、岩を登りたい登りたいと思いつづけていたわけですが、指が痛い足が痛いでなかなか登り始める事は出来ませんでした。
最初に行ったのは家から車で20分で行ける御岳渓谷。ボルダリングに挑戦しました。初めに登ったのは、もっとも易しいと思われる滑り台岩。まず怖いのは指を切断した右足にクライミングシューズを履くことでした。きついシューズに足を入れて行くと皮が剥けそうで。滑り台岩の中でも一番易しい10級のラインに取り付いてみました。まず高さ2、3メートルぐらいの岩なのに上から落ちられない事に恐怖を感じてしまい、なかなか最初の一歩が出ませんでしたがなんとか上に登ることに成功。少し感動してしまいました。しかし予想どおり右足は痛みましたし細かいスタンスには立てませんでした。次に左にある同じ10級のライン。こちらは最後の抜け口がマントリングで今の僕には出来そうもなかったので途中で諦めました。この日はこれ以上登るのは無理と感じ近くのボルダーを手でべたべたと触ったり知人の登りを眺めて過ごしました。
次に向かったのは小川山の兄岩。知人に5.7と5.10aのルートにトップロープをかけてもらい挑戦。5.7のルートはステミングとジャミングを駆使して一発で成功。そしてなんと右にある5.10aのルートも一発で成功。ジャミングが使えたから登れたのでしょう。テラスからは眺めも良いし気持ち良い風も吹き気分は最高でした。次は5.10bのフェースルート。このルートでは自分の力の無さを痛感しました。垂直の壁に3センチほどのホールドが程よくちりばめられ一見登りやすそうに見えました。しかし最初から手に力が入らず身体が上がりません。もちろん、失った両手の小指と薬指は使えず、中指と人差し指の2本指で持つわけですが、なぜか力が入りません。元気なころも2本指で登ることもあったのに。無くなった小指と薬指の重要性がこの時初めてわかりました。確かに握力がなくなったことは普段の生活で知ってはいたのですが岩のホールドぐらいには耐えられると思っていました。クライミングの動きは覚えているのに力が入らないのは辛いものです。翌日は5.10aのスラブをぎりぎりトップロープで登り2日間のクライミングは終了しました。
翌週は家の近くの白妙へ。しかしここでは一番易しい5.10aのルートさえも登れませんでした。クライミングを再開して3週間、気持ちの浮き沈みの多い日々を過ごしていますが、それでもやはりクライミングは楽しいです。初心者のレベルまで落ちてしまいましたが、ここからどこまで上のグレードに進めるかも楽しみです。まずは鴨居にぶら下がれるぐらいの力が戻るようにトレーニングしたいと思います。
ボルダリング ボルダリング

(03/08/22 letter)

屋久島に行きました。
8月7日 朝7時に奥多摩駅を出発。僕と妙子そして知人の子供3人で青春18キップを使い大分県は国東半島の友人宅を目指す。本当ならば飛行機か新幹線で行っても良かったが、私達には時間もあり、あえて各駅電車での旅を選んだのだ。この日は兵庫県は三田の親類の家に泊めさせてもらう事にする。夕方7時に到着。
8月8日 三田を8時に出発。台風がこちらに向かっているらしく徳山から国東行きのフェリーに乗れるか心配。岡山から雨と風が強くなり始めたころ土砂崩れのため電車は一時間も止まり残念ながらフェリーも欠航になる。下関、小倉まわりで国東半島を目指さなくてはならなくなり時間がかかりそうだ。電車の中では知人の小学5年生は夏休みの宿題を私達は読書。友人からもらった本は僕の趣味にはあまり合わず、あまり面白くは無かったが時間つぶしにはなる。関門海峡を夜の8時に通過、小倉で乗り換え時間があるためラーメンを食べる。宇佐に10時30分に到着。友人が車で駅に迎えに来てくれていたのでやっと電車から開放される。
8月9日 今日は国東でのんびり。午前中は地元のイベントに部外者である我々も参加しキス・タイ・スズキなどの魚をいただく。午後は近くの海で貝を取り夕飯で食べた。夜、手術した足先をぶつけてしまい出血した。悲しいぐらいに皮膚が弱い。8月10日 子供は国東に残し妙子と二人で鹿児島を目指す。再び各駅停車の旅を再開。海を眺め小さな無人駅をいくつも過ぎ、またまた読書。夜の11時30分鹿児島駅に降り立ちそのまま南埠頭を目指し30分歩く。海がすぐ横にある公園が今日の寝場所になったが風が強く身体が塩でべとつき、ついでに近くで花火で遊ぶ人がいたためなかなか眠れなかった。
8月11日 8時30分、屋久島に向けてフェリーで出発。予想通り人、人、人。いつも人のいない土地での活動が多かった私達だからたまには、一般的な観光も悪くは無いだろう。甲板で海を眺めているとイルカの群れがやってきた。フェリーの周りを遊んでいる。感動的だ。ついでに飛魚も飛んでいた。屋久島についてからはバスにのり起源杉まで向かう。大雨のなかバスを降りるとあちこちに大きな杉が…しかし雨があまりに強いため景色を楽しむ余裕もなく足を傷つけないように山道を上がる。この日は宮之浦岳登山口に近い淀川小屋に入ったが、すでに何人かの先客がいた。
8月12日 小屋を6時に出る。最初は小雨も降っていたが山を登るに従い晴れ間がのぞき景色も良くなってきた。元気のころならば必ず試みただろう巨大なボルダーがあちこちに見え美しいスラブまであり今の自分が歯がゆい。9時30分宮之浦岳の頂に到着。残念ながら雲に隠れてすべては見渡せなかったが深い谷がいくつも見えた。下山に入ると何度も足を痛めてしまい足を引きずるようになったが途中、鹿やサルが現れてくれ気分を和ませてくれた。我家の近くにいるサルや鹿よりも小柄な彼らだが私達が近づいても逃げない。予定よりも足を少し伸ばして旧高塚小屋に到着1時30分、原生林でかこまれ動物が近くで鳴く雰囲気の良い小屋だった。
8月13日 6時出発。5分であのあまりにも有名な縄文杉に到着。やはりほかの屋久杉よりも白味がかり迫力がある。昨日の疲れが残っているし足先が痛いため緊張する歩きが続きいつもよりも何倍も疲れた。動きが不安定だと言う事は体力を使うことだと実感する。いつの日か元のように戻るのか、それともこの歩きになれるしかないのか。10時50分、白谷雲水峡の駐車場に到着。3日間の山旅は終わった。感想としては確かに3日間歩いたのは退院後初めてであったが最初のハイキング、御前山と比べ足の具合は良くなってきたとは言えないと思う。今回はただ根性で歩いたにしかならないような気がする。それに確かに宮之浦岳登山も楽しかったが本当ならば宮之浦川など沢を歩きたかったのが本音だ。しかしそれにはもう少し回復しなければならないだろうと思う。
8月14日 宮崎港から川崎に向けフェリーに乗り込む。こんな大きな船なのに大揺れだ。気分が悪いがダイバーの映画を寝転びながら見た。家に帰ってからの事を考える。3日後に友達と御岳でボルダーを試みる予定だ。一番易しいのから挑戦しよう。
屋久島にて
屋久島にて
屋久島にて

(03/07/03 letter)

6月7日 植村直己冒険賞の授賞式に出るため植村さんの生まれ故郷の兵庫県は日高町に夫婦二人で行きました。当日の会場はとても大きくて立派で800人の人が見に来ていたようです。日高町がどれだけこの冒険賞に力を入れているかが分りました。最初は地元の小学生による歌から始まり
(個人的には授賞式の中で、この歌がもっとも良かったと思う)
選考委員と町長の話の後、私達が記念品などをいただきました。その後山と渓谷の人による司会で私達の講演会?を一時間ぐらいありましたが、いつもどおり緊張はしませんでした。しかしたくさんの中学生が来ていたのであまり変な事も言えないので、いつもよりは言葉に気を付けたつもりですが。授賞式最後には会場に設置された6メートルのギャチュンカン北壁
(木で作り白いペンキが塗ってある)
を中学生が登りすべての式が終わりました。この日は遠くからたくさんの人が見に来ましたが中には原付バイクで大阪のほうからもきた人がいたそうです。私達の話がどれだけ伝わったかは分りませんが私達にとっては良い思い出になりました。

話は変わってリハビリハイキングですが最初の御前山以降、高水三山、三室山、笠取山に行きました。まだまだ足は痛いですが少し歩ける様になりました。次は避難小屋泊の山登りと3級くらいのロッククライミングを考えています。
授賞式の様子1
授賞式の様子2

(03/05/29 fax)

5月26日 ついに退院後初めて山に登りました。行ったのは我家の近くにある御前山です。メンバーは僕と妙子そして比較的近くに住む男性と昔から一緒に登ろうと行っていたがなかなか実現できなかった女性の4人です。その日はあいにくの雨になりましたが3日ぐらい前から気合を入れていたので登りに行く事に決めました。ストック2本握り締め最初はおそるおそる歩き始めましたが慣れると比較的普通のスピードで登れました。しかし下りはさすがに凍傷で失った足先は痛み、かなり真剣に歩かないと転びそうで怖くついでに怪我しそうでした。それに地元の奥多摩で遭難したら一生色々な人に言われつづける事になるし少しはまだクライマーとしてのプライドが残っています。往復4時間と短い時間しか歩きませんでたが次のステップが見える山行でした。これからは週に1度は山に登ろうと考えています。今は次の山を選ぶため地図を眺める毎日です。 御前山にて

(03/05/09 letter)

2ヶ月間の伊豆での生活を終え 先週奥多摩に戻ってきました。残念ながら伊豆では体の調子が悪く思うようにリハビリは出来ませんでした。クライミングが出来るようになったら再び訪れて楽しもうと思ってます。さて今何をしているかといえば特別予定もなく家の中で過ごしている事が多く、時々スライド会の予定があるだけです。ただ少し興味を持ってしている事は、川原の石を拾ってきては、そこに絵具で絵を書く事です。今までに完成したのはケニアとアフガニスタンの人の顔とテントウムシの3点です。これらは自分で言うのもなんですが、なかなかうまくいきました。昔から絵を書く事は好きだったので良い暇つぶしになってます。いつか家の前で1個100円ぐらいで売れたら面白いと思ってますが、その前に写真でもとってここに載せられたらうれしいです。そして少しだけ始めたのは今までの経験を本にまとめてみようと思っていることです。25年間、怪我をしているとき以外、休まず登り続けてきた記録をヒマラヤクライミングを中心に書きたいと思ってます。勿論それが売れれば言う事ありませんが、どちらかと言えば自分への記念として残したいと思うと同時に毎日があまりにも暇なので何か目標みたいなものを持ちたいと考えているからです。本を書いていると言うと何だかかっこはいいですが書いていない日が多く書いたとしても10分で止めてしまう日もありますから完成はいつになることやらわかりません。本が売り出された時に多くの人が買ってくれれば、我家は印税で暮らせるというまるで冬のK2を単独登攀を行うよりも可能性のない事が現実になるかもしれません。まあ印税生活は無理でしょうがのんびり本を書きたいと思います。

エバニュー(注)

ケニアの人の顔 テントウムシ
アフガニスタンの人の顔 all

(03/03/25 letter)

3月7日、雪が5cm以上降った奥多摩を食料を満載した車で出発し一路、東伊豆に向かいました。
友人たちは、足の具合が悪くなり運転出来なくなった時の事を考え、私の車の後に付いてきてくれました。

6時間のドライブ後、私たちは立派すぎる知人の別荘に到着。とても美しい家なのでビックリしました。私たちだけの生活は何かにつけて大変で握力15kgしかない私の手では重い荷物は持てないし、まだ時々通院している妙子の指では、水仕事は出来ません。
毎日、海岸線を40分ほど散歩するのと読書が唯一楽しみという老後のような生活をしてますが家のまわりには種類は解りませんが、たくさんの鳥とリスが遊んでいますしスギ林が少ないので奥多摩のように花粉は飛んでいません。しかし毎日毎日が幸せという気分でもありません。
少しでもクライミングに挑戦するためクライミングギアとボルダリング用のマットを持ってきましたが長い車イス生活で肩を痛め今でも手が上がりません。

また先日、風呂場で転んでしまい手術した足の皮をむいてしまいました。いつまでも登れないのではと時々海岸で登っているクライマーを見ながら感じてしまいます。次から次へと復活の計画はこわれている感じです。特別ライバルがいるスポーツと違うのに何になのかあせりを感じ満足にトレーニングが出来ないため、どんどん筋肉が落ちていくのを見ていると少し悲しくなります。
それでも人生にはこんな日々も重要だと思ってます。来年あたりこの日々もわすれヒマラヤの高峰を登っているかもしれません。
ここ数日、後藤正治さんの「奪われぬもの」と沢木耕太郎さんの「激しく倒れよ」を読みました。アスリートの苦悩などが書かれた素晴らしい本でした。客観的に見れば私の人生もバラエティーでけっこう良いかもしれません。
東伊豆にて
東伊豆にて
東伊豆にて

(03/02/12 letter)

2月11日 今、のんびりと病院で寝てます。今日は休日ですが雨なので山ヤの見舞い客が来るかもしれません。昨日は外出し近くの公園に散歩に出かけました。そこで木の枝で懸垂を挑みましたが、ぶら下がることもできませんでした。ショック、ショックです。
小学生の時から懸垂ができなかったことは過去に一度も無かったのに……。これは岩遊びは、かなり遠い話になりそうです。ビスターリ、ビスターリとリハビリです。

1月は足の手術や朝日スポーツ賞の授賞式などに行き少し変化のある生活でした。朝日スポーツ賞は私の長年のアルパインクライミングの業績にたいしてのようです。授賞式当日はカゼのため熱があり楽しくもあり苦しくもある日でした。そして先日、今度はギャチュンカン北壁の登攀にたいして第7回植村直己冒険賞が私と妙子ペアが選ばれました。なかなか一般には理解しにくい登攀だけに、選ばれた事はとてもうれしいです。

二つの賞とも賞金が出るので退院したら中古車でも買おうかと考えてます。妙子の指がさらに短くなるので今の車ではハンドルが重くパワーステの車が必要だからです。
退院後については二人でいろいろ計画中です。まず我家がある奥多摩に帰っても寒いので、2ヶ月くらいは太陽さんさんの暖かい場所で毎日ウォーキングと温泉。5月は奥多摩に帰り山草つみ。6月は屋久島に行き、7月は南アルプスでものんびり縦走。8月はネパールに行きクライミング(これはジョーク)。9月は新しい家さがし……などなどです。
以上すべてが計画どおり行かないと思いますが、これからの人生も楽しくなりそうです。

エバニュー(注)

2/17に、山野井氏より電話にて以下の報告がありました。
2/22で退院となる事が決まりました。その後しばらくは通院が必要であるようです。

第7回植村直己冒険賞受賞の際の写真
植村直己冒険賞受賞 植村直己冒険賞受賞

(03/02/06 from EVERNEW OD div.)

山野井氏より電話にて以下の報告がありました。

『1/30に切断した右足に皮膚の移植手術を行いました。その結果は一週間ぐらいたたないと判断できないとのことでしたが、2/6の診断では手術は成功したとの先生のお話でした。大腿部からの皮膚移植ですので、まだ何かに当たっても痛いですが、おいおい慣れてくるものと思います』


(03/01/23 from EVERNEW OD div.)

朝日スポーツ大賞を受賞しました。
優れた業績をあげたスポーツ選手やスポーツの普及発展に尽くした人々に贈られる尤も権威のある賞の一つである朝日新聞社選定の朝日スポーツ大賞を受賞いたしました。サッカー日本チームやゴルフの世界選手権で優勝した丸山茂樹氏などと一緒の受賞でした。
これまでも登山の分野で受賞した方々もおられますが、殆どはチームでの受賞でした。山野井氏のようなアルパインスタイルでの高峰の登攀が認められたことは希有なことです。
その授賞式が1月22日に行われました。山野井氏は車椅子、松葉杖姿で出席いたしました。そのスナップを掲示いたします。
なお、23日には切断した足への皮膚移植の手術が行われることになっております。少なくともあと一ヶ月の入院加療は必要かと思われます。
贈呈式
受賞者 贈呈式 中田浩二選手と
鹿島アントラーズ・中田浩二選手と

(03/01/07 letter)

入院生活も3ヶ月近くになります。
11月28日に手の指を5本切断しました。大工仕事のような音を聞きながらの2時間30分で緊張のあまり脈は90以上にもなってました。
手術前は黒く炭化した指は何も感じませんでしたが、さすがに術後は頭を動かしても痛く食事はもちろんトイレなども看護士さんの助けが必要なほどでした。

12月12日には右足の指を5本すべて切りました。こちらは今後皮膚移植をするため切断部分は縫わず切ったままの状態です。毎日の消毒はかなり痛みますが主治医のK先生がとても山好きでつらい治療中でも登山の話をしながらだと多少リラックスします。退院はバレンタインデーぐらいになるでしょう。早く温泉旅行でもしたいものです。今年は生命の危険のない年になりそうです。