ビャヒラヒタワー登攀

2001年10月1日 手紙

今回のヒマラヤクライミングの話は、ポーランドのクルティカからの1枚のファックスから始まりました。
「ラトック北壁はどうだ。落石の無くなる8月に登ろう」
それ以来ラトックについて考えるようになりました。1,000メートルのきり立った氷壁、600メートルの岩壁。私の求める全てがこの北壁にはあり、いつのまにか計画は進みはじめました。

7月20日、パキスタンはイスラマバードで合流した我々。一つの冒険とも言えるスカルドまでのカラコルムハイウェーは、ドライバーの努力の結果17時間という素晴らしいタイムで到着。またキャラバンも通常5日間の行程を3日間で歩き、4,500メートルの氷河だらけのBCに到着しました。
BCはラトック・バインダーブラック・オーガ2などが見えるとても良い場所でしたが、目標のラトック北壁はコンディションが悪く雪崩の危険があり、我々はむしろ近くの美しい岩塔のビャヒラヒタワーに興味を持ち、最初にこれを登ることにしました。

しかしタワーの道のりは易しいものではなく、落石やセラックの崩壊の危険に満ちたクロアールで、とても急でした。
我々が開拓した南壁は美しいクラックと脆いクロアールで構成されています。グレードで言えばフリーは5.10、エイドはA2位でしょうか。登攀は常に悪天候によりしばしば中断しましたが、6日間かけ8月14日午前11時に頂上に立つことに成功しました。
私がルート名はと聞くと「我々には易しいルートだから、ジャパニーズポーリシュピクニックだな」とクルティカは答え写真を撮りまくり、私と妙子は無名の6,000m峰や中国の山々を眺めつづけました。

しかし今思うのは、ビャヒラタワー下山後もラトック北壁のコンディションが悪く、挑戦できなかった事がとても残念です。
来年の計画は今はありません。しばらくはフリークライミングと11月からの富士山の強力の仕事です。

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