屋久島に行きました

2003年8月22日 手紙

屋久島に行きました。

8月7日 朝7時に奥多摩駅を出発。僕と妙子そして知人の子供3人で青春18キップを使い大分県は国東半島の友人宅を目指す。本当ならば飛行機か新幹線で行っても良かったが、私達には時間もあり、あえて各駅電車での旅を選んだのだ。この日は兵庫県は三田の親類の家に泊めさせてもらう事にする。夕方7時に到着。

8月8日 三田を8時に出発。台風がこちらに向かっているらしく徳山から国東行きのフェリーに乗れるか心配。岡山から雨と風が強くなり始めたころ土砂崩れのため電車は一時間も止まり残念ながらフェリーも欠航になる。下関、小倉まわりで国東半島を目指さなくてはならなくなり時間がかかりそうだ。電車の中では知人の小学5年生は夏休みの宿題を私達は読書。友人からもらった本は僕の趣味にはあまり合わず、あまり面白くは無かったが時間つぶしにはなる。関門海峡を夜の8時に通過、小倉で乗り換え時間があるためラーメンを食べる。宇佐に10時30分に到着。友人が車で駅に迎えに来てくれていたのでやっと電車から開放される。

8月9日 今日は国東でのんびり。午前中は地元のイベントに部外者である我々も参加しキス・タイ・スズキなどの魚をいただく。午後は近くの海で貝を取り夕飯で食べた。夜、手術した足先をぶつけてしまい出血した。悲しいぐらいに皮膚が弱い。
8月10日 子供は国東に残し妙子と二人で鹿児島を目指す。再び各駅停車の旅を再開。海を眺め小さな無人駅をいくつも過ぎ、またまた読書。夜の11時30分鹿児島駅に降り立ちそのまま南埠頭を目指し30分歩く。海がすぐ横にある公園が今日の寝場所になったが風が強く身体が塩でべとつき、ついでに近くで花火で遊ぶ人がいたためなかなか眠れなかった。

8月11日 8時30分、屋久島に向けてフェリーで出発。予想通り人、人、人。いつも人のいない土地での活動が多かった私達だからたまには、一般的な観光も悪くは無いだろう。甲板で海を眺めているとイルカの群れがやってきた。フェリーの周りを遊んでいる。感動的だ。ついでに飛魚も飛んでいた。屋久島についてからはバスにのり起源杉まで向かう。大雨のなかバスを降りるとあちこちに大きな杉が…しかし雨があまりに強いため景色を楽しむ余裕もなく足を傷つけないように山道を上がる。この日は宮之浦岳登山口に近い淀川小屋に入ったが、すでに何人かの先客がいた。

8月12日 小屋を6時に出る。最初は小雨も降っていたが山を登るに従い晴れ間がのぞき景色も良くなってきた。元気のころならば必ず試みただろう巨大なボルダーがあちこちに見え美しいスラブまであり今の自分が歯がゆい。9時30分宮之浦岳の頂に到着。残念ながら雲に隠れてすべては見渡せなかったが深い谷がいくつも見えた。下山に入ると何度も足を痛めてしまい足を引きずるようになったが途中、鹿やサルが現れてくれ気分を和ませてくれた。我家の近くにいるサルや鹿よりも小柄な彼らだが私達が近づいても逃げない。予定よりも足を少し伸ばして旧高塚小屋に到着1時30分、原生林でかこまれ動物が近くで鳴く雰囲気の良い小屋だった。

8月13日 6時出発。5分であのあまりにも有名な縄文杉に到着。やはりほかの屋久杉よりも白味がかり迫力がある。昨日の疲れが残っているし足先が痛いため緊張する歩きが続きいつもよりも何倍も疲れた。動きが不安定だと言う事は体力を使うことだと実感する。いつの日か元のように戻るのか、それともこの歩きになれるしかないのか。10時50分、白谷雲水峡の駐車場に到着。3日間の山旅は終わった。感想としては確かに3日間歩いたのは退院後初めてであったが最初のハイキング、御前山と比べ足の具合は良くなってきたとは言えないと思う。今回はただ根性で歩いたにしかならないような気がする。それに確かに宮之浦岳登山も楽しかったが本当ならば宮之浦川など沢を歩きたかったのが本音だ。しかしそれにはもう少し回復しなければならないだろうと思う。

8月14日 宮崎港から川崎に向けフェリーに乗り込む。こんな大きな船なのに大揺れだ。気分が悪いがダイバーの映画を寝転びながら見た。家に帰ってからの事を考える。3日後に友達と御岳でボルダーを試みる予定だ。一番易しいのから挑戦しよう。

記事一覧へもどる