世界一周報告

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世界一周自転車旅 「愛心接力」(優しさのリレー)

2014年4月30日 E-mail


2012年春、中国武漢で自転車が盗難に遭うも、ネットユーザー・市民533万人と警察・政府の大捜索の末、奇跡的に三日後に取り返したという出来事がありました。日本でもyahooニュースで1位になりモーニングバードや特ダネなど朝の各報道番組でも報道されており、記憶に残っている方もいるかもしれません。Global Timesなど欧米でも各国の言葉に訳され報道されていました。

 

中国では「愛心接力」(優しさのリレー)として報道され、その後も、なぜ中国人の無くしたものは見つからなくて、彼の自転車は見つかるのかなど様々な議論を生んでいます。

今回はその事件の様子を始めから詳しく書きたいと思います。

 

 

夢じゃないのか。

ただの悪夢だったら覚めて欲しい。

そこにあったはずの自転車が消えた。一瞬自分の目を疑った。

まだ消えない、数日前に整備した時に手に付いたオイルを見ると切ない・・。ここまで一緒に旅してきたパートナーなのに・・。

 

この悪夢のような出来事はこう始まった。

 

VISAの延長がなかなか思うように行かず、入国管理局と公安に何度も足を運ぶ日々が続いた。

空いた時間を有効に活用しようと思い、ボランティアで日本語教師を始めることにした。

 

その話を周りにしたところ、大学や外国語学校で教えてみないかという話が舞い込んできた。その誘いに感謝しつつも、彼らが求める滞在期間は数ヶ月と長く、そんなに長くは滞在していられない。もうすぐ灼熱の夏がシルクロードを焦がしに来るというのに前に進まぬわけにはいかない。

 

そこでカフェなどで気軽に教えるチューターをすることに決めた。ポスターを何枚も作り、武漢の主な大学やいつも親切にしてくれるお気に入りのカフェなどを自転車で駆けながら張ってまわった。その結果、掲示したその日から日本語を勉強したいという幾人もの連絡が入りKFCやカフェなどでレッスンを始めた。大学生から上は63歳の年配の方まで、年齢層は様々だった。日本語をちゃんと教えるのなんて数年ぶりで、カンボジアのNGO学校以来。最初は緊張をしている学生と一緒に、僕まで緊張していた。

 

そんな感じでこの日も自転車で20km離れた場所まで行き、レッスンをした学生二人が夕方、漢街というすごくお洒落で近代的なショッピングストリートに連れて行ってくれた。

 

歩行者専用となっており、入り口の警備員に駐輪場を案内され、歩道まで自転車を押していく。そこは歩道の一部に線が引かれ、スクーターや自転車がもうすでに何台か停まっている。管理人らしき男性がひとり右腕に赤い腕章をつけ、駐輪された自転車の間に立っていた。

スタンドのない僕の自転車は他の自転車とは綺麗に並ばず、その男性に言われてそこから3メートルほど離れたゴミ箱と壁の間に停めることに。その時、彼は面倒くさそうに自転車を軽く持ち上げ壁によりかけた。駐輪場代の5角(約8円)を渡そうとしたが、あとでいいと言われ、鍵をしっかりと二つかけて、友達とその場を離れた。

 

 

東京でいうと表参道のような場所で、人通りも多い。これまで幾度となく途上国を旅してきた経験から、普段ならこんなところに絶対自転車を停めないし、柱を見つけて頑丈に固定しただろう。今までこの旅で何かを盗まれたことなんて一度も無い。ただこの日はこの男性がいたから彼を信じ、安心していた。

 

午後6時半に離れた僕らは、買い物が終わり、8時少し過ぎた頃駐輪場に戻る。そしてショックな光景が目に写る。誰もいない駐輪場と消えた自転車。あったはずの自転車がシルエットのように脳裏に残っていただけ。

 

すぐさま漢街にいる警備員を呼ぶと同時に警察に電話をした。

 

警察署に行き事情聴取をしていると、先ほどの駐輪場の係員の男とその家族が呼ばれた。

見覚えのある服装と顔、確かにこの男だ。

警察の問いに彼は、

「何も覚えていない。」「気づかなかった。」「そんな自転車は知らない。」

と何も知らないとの一点張り・・。

 

確かに彼は8時前後に帰ったかもしれない。しかしそれ以前の6時半から8時までに自転車があったかどうかも覚えていないと言う。30台以上の自転車を一人で管理している駐輪場もあるのに、その場所はわずか5、6台程しかない。それを見ていなかったというのはあんまりじゃないか・・。

その後の警察署の取調室の中では「知っている。知らない。」の言い合いが続き、しばらく修羅場と化した。

もちろん彼は自分の身を守りたい。僕らは自転車の行方を知りたい。

別に彼に請求するとか、訴えるとかするつもりなんか全然無かった。

ただ、嘘をついて欲しくなかった。

 

結局らちがあかず、警察に捜索をお願いして僕らは警察署を離れた。

 夜中は0時をまわっていた。友達二人を家族が待つ家にタクシーで送っていく。僕が停まっている家はここからはるか遠く、もうバスも無い。疲れきった足を引きずりながら歩いていると屋根の付いたバス停とベンチが見えた。

ベンチに座り今日はどこで寝ようか、ここで寝てしまおうか、自転車は今頃どこにあるのか、今後の旅の計画などが頭の中をぐるぐる回っていた。

携帯のメモリーを眺めながら、ひとり気になる名前を見つけた。Richead。

ある大学で英語を教える60歳代のアメリカ人。アメリカの美術館の元館長だが今はここ中国で教壇に立っている。彼とは他の外国人先生の家に宿泊していた時に知り合った。確か彼はこの辺に住んでいたぞ。連絡を取り事情を話してみると深夜にもかかわらず、優しく迎え入れてくれ、この日は彼の家のソファーで寒い夜を明かすことが出来た。

 

 

盗難に遭った日がずっと昔のように感じるほど、目まぐるしく忙しい日々が始まったのはこの日からだった。

 

自転車が盗まれたとき、僕は決意した。

 

「絶対諦めない!」

「絶対に負けない!!」

 

ここで旅を終わりにしてたまるか。

 

自転車は無くなったけど、まだ大きな希望と大きな夢がある。

どんなに困難でも、正当な手段を使って必ず見つけ出してみせる。警察は動かないし、そのままではこの国で見つけるのは困難だということは知っていた。だから僕らは動いた。

 

 翌朝、予定していた老人ホームでのボランティアに参加する。

 

 

いつもの様に沖縄三線を背負って施設に集合するが、皆僕が元気がない事に気づく。昨夜の出来事を話すと、

「世界一周の大切な自転車が盗まれたのに、おじいちゃん達と話している場合じゃないでしょ!」

皆心配してくれ、ボランティアを中断して動き始めた。これまでのボランティアで知り合った仲間や街で知り合った友達など、武漢のあらゆる友達に事情を伝えるとみんなから全面的に協力してくれるとの返事が来た。

友達が友達に協力をお願いし、さらにこれまで出会ってきた中国各地の友達もインターネットで情報を聞きつけ、優しさの波はどんどんと広がっていった。

 

次第に有力者が協力に参入、その日中にメディア業界へと広がっていく。

中国各地からの新聞・テレビからの多数の取材にも多くの協力者が同行してくれ、時には過剰なマスコミから守ってくれた。水滴の波紋の様に台湾や香港へまで広がったと思いきや一斉に日本のメディアがあらゆる手段を使って連絡を取って来る。

 

インターネット上では中国版Twitter(Weibo)を始め様々なソーシャルネットワークが一日数万件単位で炎上していき、様々な情報から段々と手がかりがつかめてきた。

 

点が線になり、線が面になる。

恐怖を感じ始めた頃には瞬く間に中国全土に広がっていた。

 

 そして盗難から3日目。ついに、政府が動いた。

遅れながらも忘れかけていた武漢警察が全面的に協力してくれることに。

窓が黒塗りの高級車が何台も目の前に停まる。通訳についてくれていた女の子が恐怖のあまり声を震わせながらどうやら偉いらしい方達の説明をしてくれた。

あれ、盗まれた初日に会っていたときはこんなに優しく協力的だったかな。殺人課やら政府の方達と夕食会に招かれる。

ここまで必死なのには訳がある。きっとこの事件が広く世の中に知られた以上、もし市民がその一台の自転車を先に見つけてしまったら、政府警察の面子はまるつぶれになるからだろう。

 

違うよ。面子とかどうでもいい。僕は自転車を取り返したいんだ。

 

警察署のパソコンを使用させて頂きながらネットで飛び交う有力な情報を協力者と手分けして探し出す。その多くが励ましと応援、新しい自転車や装備の提供などの言葉で炎上していた。

 

「優しさに国境はない。」

 

「民族の違いなんて超えて助け合おう!」

 

「生放送見ました。悲しいです。彼はずっと一緒に旅をしてきたのに。」

 

「住む場所や寝袋を提供したいです。」

 

「僕の自転車をぜひ使ってください!」

 

「私の街を走っているところをみました。応援しています。何でも言ってください。」

 

「大きな荷物と一緒にあなたが私の大学を通るところみました!何か出来ることがあれば・・」

 

「盗んだやつ。許せない。」

 

「私の頭はこのことでいっぱいです。どうか助けてあげてください。」

 

「みんなに広めて、自転車を見つけよう!!」

 

「とても偉大な夢!武漢で終わるなんてさせない。」

 

「同じ中国人として恥ずかしい。」

 

「武漢人の顔が立たない。今こそその誇りをみせよう!」

 

「彼は一人じゃないよ。みんなの気持ちが彼と一緒です。」

 

・・・・他数え切れないくらいの、信じられないくらい優しい言葉が・・。

 

ネットを通じて最有力情報が入った。僕の自転車の特徴にどれもこれも一致している。

それは友達の友達の友達の友達・・・・なのだが、詳しい場所やこの情報提供者自体が誰なのかわからなかった。彼は警察と会う事を拒んでいるようだ。

しかし刑事の力はすごかった。数分と経たずにその人がいる場所を見つけ出し、僕らは彼のいる場所へ車で向かう。

 

着いてから彼の顔を見てびっくり。

 

彼を知っている・・。

 

数週間前、中国新年の終わりにテレビ取材を受けていたとき、自転車にまたがり話しかけてきた少年がいた。そのときは花火の音や人ごみの中であまり話が出来なかったが会ったことや顔はよく覚えている。

 

彼は自転車が大好き。その日も盗難自転車が流れて来るいわゆる闇自転車屋で、自転車の整備・洗浄を趣味で手伝っていたのだという。もちろん彼は自転車にだけ興味があり、盗難かどうかなんて気にしていなかった。

 

その彼が整備した自転車の中のひとつがなんと僕の盗まれたアンパンマン号だったのだ。

 

珍しい日本製の自転車と専用のキャリア、旅仕様に手を加えておいたその自転車が珍しく、彼はしばらく眺めていたという。そのおかげで日本の防犯登録の文字など事細かに覚えており、それを伝えてくれた。

 

会った時に、

 

「君のあのかっこいい自転車はどこ?」

 

と聞くと、彼は、

 

「一週間前に盗まれたんだ・・。」

 

・・・。

 

言葉を失い、涙が出てきた・・。

 

彼は自分の大好きな大好きな自転車を盗まれてもなお、僕に協力してくれていたのだ。

 

なかなか言葉が出てこなくて、ただ彼を抱きしめた、

 

「ごめんね・・。ありがとう・・。」

 

彼は、

「悔しいけど、絶対見つけようね!」

 

彼の夢はいつか日本製の自転車に乗ることだそう。警察の車の中で、彼と約束した。

世界一周が終わって戻ってきたら、絶対彼に日本の自転車をプレゼントすることを。

 

「日本の常識は世界の非常識」とは事実だろう。

中国では自転車や携帯が盗まれようが警察には行かない。行ってもくだらない事で来るなと追い返されるのだ。つまり中国で盗まれたものは返って来ない。彼は自分の自転車が盗難にあってからも盗品が売られている闇市を一人で探しまわりついに自分の自転車を見つけ出した。警察に訴えるが、証拠がないと追い返された・・。今回彼が警察に会う事を拒んだのもその為だ。だから警察に対する恨みは他の国民と同じように計り知れない。ただ声と感情を押し殺しているしかないのだ。

 

彼が自転車を見たという店は閉まっており、その後の自転車の行方はわからなかった。

 

でも、もう少し、あともう少し。

 

 

夜も10時をまわり、誰もが疲れていたが、まだ皆諦めてなんかいなかった。

 

そして・・・見つかった!!

 

再び警察署に戻ると、テレビ関係者が自転車を見つけ、購入したという情報が入った。

その彼も自転車好きで捜索に協力してくれていたという。

すぐに警察官が駆けつけ、自転車はその日中に警察署に移送された。

 

湖北省政府と武漢警察と共に受け渡しの記者会見が始まった。

 

捜索に当たって頂いた方々への伝えきれないほどの感謝の気持ちを伝えると共に、これまで僕を励まし支え、助けてくれた中国、特に武漢の皆さんへの感謝の気持ちを伝えた。

会見の中でこんな会話があった。

 

政府:「こちらですでに新しい自転車を用意させていただいたんですよ。」

僕:「ありがとうございます。しかし無事に自分の自転車が戻ってきたのでお気持ちだけいただきます。」

政府:「では新しい自転車は返品しますね。」

僕:「お忙しいとは思いますが、よろしかったらその自転車で西安まで一緒に走りませんか?」

政府:「いいですね。今は忙しいのでもう少し時間ができたらぜひ一緒に行きたいものです。」

僕:「では、楽しみにお待ちしております。」

 

会場には皆の笑い声が響きわたり、そのまま和やかな雰囲気で会見は終わった。

 

会見の最後に、盗んだ人も捕まったということが政府から直接伝えられた。

 

政府:「ちゃんとこちらで処罰するので安心してください。」

 

僕・・:「捜索してくださり、ありがとうございました。しかし、僕もこの3日間とても苦しかったけれど、きっと彼にとってのこの3日間はおそらく人生の中で最も苦しかったのではないかと思います。十分苦しんだと思います。どうかそんなに罪を重くしないであげて下さい。」

 

政府:「その気持ちは受け止めます、あとはこちらに安心して任せてください。」

 

 

 

 長い長い長い戦いが終わった。

僕は、いや、僕らは不可能と言われた戦いに勝利した。

 

確かに盗まれたときはショックだった。しかし、多くの親切で優しい中国人、特に温かい武漢人の方々に励まされ、支えられ、助けられ、ここまで来ることができた。

街中を歩いていても、

「自転車は見つかったかい?」

「諦めるなよ!加油!(がんばって!)」

と優しく声をかけて下さる人々。

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新しい自転車や、住む場所の提供、食事への招待、お金など、様々な面で寄付をしたいと申し出てくれる多くの人々もいた。

しかし、もう十分すぎるほどの優しさと温かい気持ちをいただいた。これ以上この国の方々には迷惑をかけたくない。彼らに負担してもらう理由なんてない。その気持ちだけが嬉しかった。

 

だから一切何も受け取っていない。

 

自分の自転車も盗まれているにもかかわらず、僕の夢を応援してくれるという人々。懸賞金を掛けた訳でもない。なんてお礼を言ったらいいのか、本当に感謝しても感謝しきれない。同時にとても申し訳ない気持ちでいっぱいになり、本当にこれで良かったのかと悩んだこともあった。

 

政府が動き出したことで、なぜ中国国民は救われないのに外国人には特別扱いをするんだという議論がわき起こり、自分もその渦中で大変な日々も続いた。

 

しかし毎日勢いが止ることのない励ましのメールと電話、そして3日間ずっと同行してくれた素敵な仲間達がいたから「絶対諦めない!!!」という精神は歪まなかった。

 

一段落した後、

「おめでとう!!」

 というメッセージと共に、ある人から

「あなたが私達に優しくしてくれたから、今度は私達が優しくできたのです。」

 

という嬉しい言葉をもらった。以前のブログにも記載した、

 

「自分が本当に困ったときに助けてくれる仲間」

を持てたことが本当に幸せ。

 

中国の皆さんと全員で力を合わせて取り戻した自転車。

これからも大切に、皆さんの夢を乗せて世界を走っていきます。

「政治は政治。人は人。」

今後もさらに日中の友好関係がより一層深まることを願います。

 

長文読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

次回は、なぜ生涯ボランティアの旅を始めたのか、なぜ会計学を学んでいた大学生が看護師になったのか。「旅の信念」にも触れて書きたいと思います。

 

−関連記事−

・Global times グローバルタイムズ

http://www.globaltimes.cn/NEWS/tabid/99/ID/696929/Wuhan-Web-users-come-to-the-rescue-of-Japanese-first-aid-cyclist.aspx

 

・日本人旅行者が自転車紛失でVIP待遇 

(1)http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0223&f=national_0223_034.shtml

 

(2)http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0223&f=national_0223_035.shtml

 

 

・杭州都市快報 杭州日報 HangZhou Daily Press

http://hzdaily.hangzhou.com.cn/dskb/html/2012-05/31/content_1281494.htm

 

・ドキュメンタリーTV 2012-10-23 冷暖人生 "鬼子"奇遇记

http://v.ifeng.com/news/society/201210/962a75d6-6b0e-4f04-b70c-021a4deef8e8.shtml

 

 

2014年4月30日 河原啓一郎